とある稲妻キャラのモチーフについて語りたい話

Merry Christmas and Happy New Year…

※この記事には、「伽藍に落ちて」及び放浪者のキャラストーリー、キャラボイスの盛大なネタバレが含まれています。未視聴の方はここでブラウザバックを強く推奨いたします。

ネタバレ食らわずに見るべきストーリーですからね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、そろそろ記事スタートです。

 

 

 

原神同好会 Advent Calendar 2024読者の皆様

みなさん、こんばんは。クリスマスの夜ですね。(少なくとも、書いた当時は)

楽しい一日だったという方も、労働者としてお金を稼いだ人も、課題に勤しんでいた人も、お疲れ様です。私は本日課題ファイターでした。無事終わりませんでした。

さて、現新同好会アドカレも、12月分最後の記事となりました。

今回はもうすぐ年越しということで、稲妻出身である私の推し放浪者くんと、稲妻在住のお母さん雷電将軍ついて書いてみようと思います。

1、稲妻のモデルとなった時代はいつ?

みなさん、原神で「稲妻」と聞いたら、何を思い浮かべるでしょう。

ポケモンとは異なる紫色のエフェクトに、将軍の伝説任務を終えるまで一生なり続ける雷。さらにモンド・璃月と進んできた初心者を苦しめたやたら強い上ドロップが明らかに渋い武士達に、倒した後報復のように自爆し、数多の旅人を七天神像送りにした各種フライム達...。

おっと失礼いたしました。危うく稲妻への愚痴の吐き出し場所となるところでしたね。

稲妻といえば、圧倒的な和の風景です。

離島を囲む紅葉に遠くに見える桜、そして離島を離れ、歩いている途中に目に映る素朴な田園風景、そして街に着いた瞬間感じる天守閣の荘厳さ...。まさに和です。

さてそんな稲妻ですが、おそらくモデルは日本の江戸時代だと推測されます。

①「将軍」が統治し、その下を三奉行が支えている

②「鎖国状態」が長い間続いていた

③帯刀した武士や海乱鬼が街中をうろついている

④団子牛乳とかいう奇想天外なものが売られ、しかも人気を博している

⑤目上の人をオマージュした、明らかにアウトであろう本が普通に街中で売られている。何ならそれらの本の即売会が開かれる。

などなど。

ここまで共通点があるならもう間違いないですね。特に④と⑤について、江戸時代の人々は外部との関わりが少なかった分異国の文化でお祭り騒ぎができるほどミーハーでしたし、権力者のオマージュなんかは現代まで続く娯楽です。歴代の為政者達はさぞ苦労されたことでしょう...。

2、雷電将軍と放浪者は、どこまでも反対だった?

では稲妻のモチーフがわかったところで、本題に入りましょう。

ここでのお題は、「放浪者と雷電将軍、実はモチーフ正反対じゃね?」というものです。

「は?急にどうしたこいつ?」と思われた方が大半でしょう。大丈夫です。説明していきます。

なおここからは私の推測になりますので、「こんな考えもあるんだーへー」くらいに思っていただければと思います。

(1)雷電将軍と放浪者の関係について

まず、この題材を扱う上で切っても切れない両者の関係についておさらいしておきましょう。

初登場時はファデュイ執行官第六位として登場し、その後旅人と敵対して紆余曲折あり旅人と利害が一致したスカラマシュもとい放浪者ですが、その正体は人間ではなく人形でした。

彼は元々、稲妻を統治する将軍である雷電影によって作られた将軍の試作品でしたが、将軍になるにしては「心があり」、「涙を流せる」ほど生物として弱い存在だとして、現在たたら砂の横にある借景ノ館に留置されました。そのため彼の心の中には「実の母親に捨てられた」「将軍になれなかった出来損ない」という思いが強くあり、たたら砂における御影炉心と子供との死別の件で人間を信用できなくなった彼は、雷電影に復讐し、神の心を奪うべくファデュイに入り、創神計画に加担することとなるのです。

その後のことはスメールの魔神任務及び「伽藍に落ちて」の通りですが、何度見ても本当に不憫な話です。

ちなみに「散兵」というネーミングは、公式が上げている放浪者の動画「灰塵」にて出てきた兵隊のおもちゃをモチーフにしているそうです。みんなも見てみてね。

(2)二人がなぜ正反対なのか

では以上の話を踏まえ、冒頭で私がなぜ、この二人が正反対だと言ったのか、まず仮説をご紹介します。

すなわち、

雷電将軍は江戸の将軍の文化、放浪者は民衆の文化をモチーフにしているのではないか」ものです。

ここでは二人の服装と名前になぞらえ、キャラクターのモチーフを探っていきたいと思います。

(3)雷電将軍について

稲妻の統治者である雷電将軍のモチーフが将軍文化であると考えたのには大きく分けて三つあります。

①名前に「将軍」がついていること

これは名前を見ただけで一目瞭然だと思います。

雷電将軍は、雷神である雷電影が摩耗防止に将軍職務の代行をさせるため作った人形です。そのため顔や服装まで雷電影と瓜二つの格好をしており、違いは帯についている飾りの位置くらいです。

江戸時代でも「将軍」と名を冠した人は歴代の為政者のみです。

②振袖のような着物を着ていること

雷電将軍のトレードマークといえば、一つに大きな振袖があると思います。

江戸時代、振袖はきちんと着付けをしてくれる人がいなければ着られない代物であり、庶民には手が届かないものでした。それを日常的に着られるのは、一部の富裕層のみだったそうです。将軍の位にぴったりですね。

③甲冑のようなアクセサリーがついていること

今まで江戸時代のみの将軍と比較してきましたが、江戸時代以前、将軍は長として、自身の家臣や武士を連れて戦場に赴く存在でした。

将軍の首が落とされると敗北が決定したため、体には甲冑や鎧が不可欠でした。それを踏まえて雷電将軍を見ると、肩のあたりに甲冑のようなものが付いていることがわかります。実際はもう少し範囲の広い甲冑を身につけないと危ないのですが、将軍の実力なら大丈夫でしょう。

(4)放浪者について

続いて放浪者くんについてです。将軍になれなかった彼はおそらく、江戸時代の庶民文化を踏襲しているのではないでしょうか。

①昔の名前が「傾奇者」であること

「傾奇者」は「かぶきもの」と読み、放浪者がたたら砂にいた際に呼ばれていた名前です。日本において「傾奇」とは古来「常識離れした、並外れて異端なこと」を表す言葉でした。この言葉を語源として生まれたのが、江戸時代発祥の娯楽「歌舞伎」になります。

「歌舞伎」は、今でこそ日本の伝統文化ですが、江戸時代当時は上層から「庶民が嗜む奇抜な娯楽」と揶揄されてきました。ちなみに歌舞伎役者はよく目の淵に赤い化粧を施しますが、放浪者の目元をよく見ると、同じ赤い化粧が描き込まれていることがわかります。

②修験者のような見なりをしていること

こちらは放浪者のキャラクター解説の文章です。

「正体が謎に包まれた放浪者。修験者のような身なりをしているが、それらしき言動は見られない。」

実際に修験者の服装を見るとわかるのですが、放浪者の服装はほとんど同じ特徴を持っています。(「それらしき言動は見られない」のはさすが放浪者としか言えませんが)笠を被っている、服装も修験者と瓜二つとなると、放浪者というキャラクターには「修験者」というワードがキーとなってくることは想像に難くありません。修験道とは山岳の険しい道のりを超えて山に入ることで、山の神秘を身に取り込もうとする修行法のことです。飛鳥時代から始まったとされ、江戸時代においても広く人々に普及しました。

加えて江戸時代には、寺や神社に対し統制をかける動きが高まり、修験者に対しても同様の命令が降りたそうです。雷神がが寺や神社にまで統制をかけているかは微妙ですが、雷神に復讐したいと考えていた放浪者が権力者には向かう行動をするのはある意味当然ではないかなと思います。

3、まとめ

さて、ここまで読んでくれた方々、本当にありがとうございます。そして大変お疲れ様でした。もしこれが即売会か何かだったら飴でもあげたい気分です。

私が書きたいことをつらつら書きましたが、これを機に動画を漁ってみたいと思ったり、雷電将軍、放浪者の魅力に気づいていただけたりしたら、もう大歓喜です。

また今後も不定期に記事を更新していきますので、お楽しみに!

それでは!みなさまの原神ライフが健やかなものとなりますように。

良いお年を〜!!!